図書館のアウトソーシング(2):カシオ計算機株式会社と図書館の死 ←戻る

 
カシオの歴史によれば、1946年4月に設立された「樫尾製作所」は航空機部品のメーカーであったが、純電気式小型計算機の開発により1957年6月「カシオ計算機株式会社」となった。トランジスタを使用した1965年9月のデスクの上に載るサイズの「電子式卓上計算機」からさらに小型化が進み「電卓」が開発された。「電卓」は、簡単な買い物の計算から複雑な科学計算まで、計算という機能を誰もが簡単に行うことを可能にして、生活必需品になっている。
カシオは1974年11月にデジタルウオッチ「カシオトロン」を発売、1980年1月に電子楽器「カシオトーン201」を発売、さらに、デジタルカメラ、ハンドヘルドコンピュータなどのデジタル分野に様々な商品を送り出している。これらはすべて計算機開発のための「デジタル技術」と「小型化技術」の応用である。
デジタルウオッチには「落としても壊れない時計」という新しいコンセプトが追加され、1983年に「G-SHOCK」が開発された。アイスホッケーの選手がパックの替わりにG-SHOCKを叩く鮮烈なCMによってアメリカでブームになり、アメリカでの人気が日本にも波及した商品がG-SHOCKである。G-SHOCKはその後、バックライト、潜水用防水、耐泥、データ記憶、耐錆などを次々に機能追加して進化し続けている。また商品としては、復刻版制作や、台数限定のレアものとしての市場価値も創出されている。単にファッションだけでは説明できない若者文化もカシオの商品から生み出されている。
デジタルウオッチの歴史は、精密機械産業への「異業種参入」、デジタル技術の応用による時を計る「機能の高度化」、新製品開発による「市場創出」の歴史である。
いま、セイコーやロレックスの時計とデジタルウオッチの差は何なのだろう。千円のデジタルウオッチとレアもののG-SHOCKの差は何なのだろう。個人的には千円のデジタルウオッチがあれば十分なので、セイコーもG-SHOCKも無用である。しかし、社会的にはセイコーもG-SHOCKも重要なアイテムである。
腕時計がなくても駅のホームに時計はあるし、他人の腕時計をのぞき込んで時間を知ることもできる。朝か昼かぐらいは時計がなくてもわかるが、それでは不便である。針がなくでもデジタル時計で時を知ることはできる。針がついていても中身はデジタル時計である。時計を張り付けたリュックは時計なのだろうか、リュックなのだろうか。
電子図書館も、図書館業務のアウトソーシングも同じように考えることができる。電子図書館では本がなくても図書館である。夜間開館の図書館員のいない図書館も図書館である。司書の有資格者のいない図書館も図書館である。
ただ、時計の本質は時を計って、表示することであるが、図書館の本質的な機能とは何なのだろう。情報を「蓄積」して「提供」することが本質ならば、電子図書館時代になって出版社が電子雑誌のアーカイブを保持したら、図書館は図書館でなくなるのだろうか。それとも、図書館と出版社をあわせたものが「図書館」なのだろうか。そうだとしたら「図書館」はどのような名称で呼ばれるのがふさわしいのだろうか。
整理業務を外注しても図書館である。雑誌のチェックインをアウトソーシングしても図書館である。カウンター業務に派遣社員をおいても図書館である。資料費がゼロになっても過去の蔵書を持っていれば図書館である。手や足が1〜2本なくなっても、ぼけて寝たきりになっても私は私であるが、死んでしまえばただの死体である。図書館はどのようになると「死んだ図書館」に状態が移行するのだろうか。